辺獄に墜つ女神は少女を見初め給ふ
<あらすじ>
世界の終焉を止める為の生贄とされ、辺獄へと堕とされた女神。
それに伴う永劫に続く痛みと孤独。
終わりが見えず、心が磨り減り続ける。そんな中一人の女の子が辺獄へと堕ちてきた。
女神は孤独が終わることを願った。
これの続きで、中編になります。
ここに堕ちてからどれだけの時間が過ぎたのか。あらゆる生物の中で最も正確で、強固である自分の感覚が麻痺してしまうほどの時間が流れた。
どうして自分がここに堕とされたのか。とにかく理不尽であったという強い怨念だけを残して、忘却の彼方に消えた。
身体中に走る肉体的な激痛にはとっくに慣れた。世界の狭間から溢れ出る黒い霧による、魂への痛痒だけは相も変わらず耐え難いまま。
身動き一つ取ることもできず、気が触れることも許されず。世界が楔を必要としなくなる時まで、この堪え難い拷問に耐えねばならないのだと、痛感する度に、私をここに突き堕とした相手への呪詛が脳裏に過ぎる。
だがそんな作業はすでに、何億回と繰り返した。その中でこの苦しみが晴れたことなど、ただの一度としてなかった。
今日も今日とて、狭間からとめどなく溢れて、常世に纏わりつく黒い霧を自分の血で祓い清める。
その過程で私がするのは、苦悶に顔を歪めていることだ。
血が周囲を浄化するのに足りなくなれば、四肢を縛るしめ縄が、文字通り最後の一滴まで搾り取る。
皮膚が裂け、骨が砕けてなお終わらぬ血の搾取。そこまでして抑えれるのは、常世への侵食だけで、自分は黒い霧に侵される一方。
とっくの昔に並みの神性であれば、自身の存在が消滅していてもおかしくない呪いが、魂に蓄積している。
それでも自分が不死ゆえ、致命傷たり得ない。
この能力でロクな目にあったことがないことだけは覚えている。
「うっっ……っっっっ……」
縄が四肢を強く捻り、骨が皮膚を突き破る。その深い傷口から、黒い霧が入り込み、神である私でさえ、理解の及ばぬ向こう側へと引っ張られそうになる。
それに抗いながら、常世と向こう側の狭間である辺獄に迷い子が堕ちてきたのを感じた。
それは人間の女の子らしかった。
そこで一つの疑問が湧いた。この空間は外部から途絶されていたはず。
黒い霧が常世へ漏れ出さないよう、元凶を自分で塞ぎ、その周囲は結界で覆われていたはず。
どこかで綻びが生まれたのだろうか。だとすれば、この女の子は自分に変わる、新しい生贄ということだろうか。
だとすれば、しめ縄にくくりつけられる作業は自分ですることになる。
それを全力で引きとどめよう。
無理矢理、意思とは無関係に人柱とされた自分が……自分に見向きもしてくれない世界のために、身をやつすのにはもう疲れ切っていたから。
他人にそんな役割を背負わさせるのはごめんだった。
黒い霧が世界を飲み込むかもしれない、なんて親近感のない危機よりも、ここに堕とされた女の子の方が大切に思えた。
未来永劫続くと思われた孤独と絶望を癒せるかもしれない。僅かな希望に他ならないのだから。
ようやく苦しいだけの時間が終わるのだと思うと、全身の痛みも、魂が原型をすりつぶされていく感触も忘れられた気がした。
血の搾取での傷が癒えた頃、目の前の、だが決して手が届かない場所に何かが落ちてきた。
それは確かに記憶にある人間の姿形をしていた。それは思わず抱きしめたくなるような、愛らしい容姿をしている。
そしてここに来る前につけられたであろう深い傷痕に、どこか懐かしさを感じた。
思わぬ来訪者に心が踊る。自分が何なのかさえ覚束なくとも、目の前の存在が自分にとって、何よりも大切な存在であることはわかった。
誰からも必要とされず、世界を繋ぐ楔として捨てられた時点で、諦めたつもりだった。
永劫を経て慣れたつもりだった。
そのはずなのに、寄り添ってくれるかもしれない存在が現れてしまえば、胸を突き破る衝動を止められなかった。
誰かがそばにいて欲しい……
人なんて自分に釣り合うわけがないのに、それでも縋りたくて仕方がなかった。
だが自分のわがままは叶いそうになかった。女の子は既に虫の息だった。
落下の衝撃で開いた傷もあるようだけど、物理的な現象はここでは影響が小さいから、それが原因ではない。
原因を探るとそれはすぐにわかった。この女の子には生きようとする意思が一片もなかった。
自分の推測でしかないが、向こう側の世界は精神や魂の世界。常世は物質に偏った世界。
それゆえ常世では魂が淀み、壊死していたとしても、滅びることはない。
だがここは狭間の世界である辺獄だ。
肉体が滅びずとも、魂が滅びに瀕していれば、常世とは比べ物にならない速度で命が摩耗していく。
女の子は辺りを見渡すくらいの体力はある様子だが、それが失われるのもそう遠くないだろう。
どうにかしないと。身体は縛られていて動かない。呻き声しか出したことがないから、自信がない。それでも勇気を出して声を発する……が届かなかった。
というより、彼女はここにある存在が何も見えていないようだった。
偶然堕ちてきただけの女の子を縋る、か弱い存在にも。彼女の死を望む心に惹かれた黒い影が、周囲に集い始めていることも。どちらも認識できない。
あれは不死の自分が、命の危険を感じるほどの代物だ。ただの人間が、それもあんな不安定な人間が耐えられる物ではない。
胸が締め付けられる。足掻かねばならないとわかりながら、足掻く術がない。
神仏に類する能力も、身体を縛るしめ縄が、黒い霧を抑える為の力へと全て変換している。
最悪なことに、黒い霧を抑える範囲を制御する権限は自分には与えられていなかった。
なんとかしようと思考を巡らせる。永遠に行使することはないと信じていた、無用の長物と化した英知を総動員する。
それでも救う手立てはないように思えた。そうこうしているうちに、女の子に黒い影が取り憑き始めた。
自分の血には黒い影を浄化する能力があるはずだから、それを与えることができたなら、目下の危機は退けられる……かもしれない。
しかし、肝心の血を彼女に与える術が思いつかない……
だが何もしなければ、彼女は喰い殺されるだけ。
必死に考える。どうにか救う手立てを……唯一脳裏に浮かんだのは、賭けのような手段。
あまり上手くいきそうにない方法。だが試してみるしかなかった。悩んでいる間にも、黒い影は女の子に取り憑いていくのだから。
自分はためらうことなく、縛られたままの右腕にあり得ないほどの力を込めた。
木の幹が折れたような音がするが、構わず腕に力を加え続ける。骨も腱も砕けて、力を加えるのが困難になる。痛みも強くなる一方。
ありとあらゆる困難を無視して、腕を根本から引き千切るために力を込める。
だが優れた膂力を持つがゆえ、頑強な肉体を持つ自分。自傷行為で、身体を酷く損壊させるのは困難を極めた。
それでも諦めない。こんな閉ざされた空間に、人が降って来ただけで奇跡なのだから。
ちょっとやそっとで諦められない。
なんの感情が内に渦巻いているのか朧になりつつある。か細いなりに、確かな戦略があったはずなのに、それも女の子を救うという目的以外思い出せない。
とにかく腕を千切ろうと足掻く、足掻く、足掻く。吹き出した血液を彼女の元へ届かせるためだけに。
一際大きな音が腕からしたと同時に、一切の力が入らなくなった。
自分の腕は肩と腕の部分で、わずかに剥がれて、血がほんの少しだけ溢れている。それはあと少しで血液を届けられるかもしれないということだ。
だがそれより先に、骨と腱が砕けてしまった。
突然の出来事に困惑しながらも、腕に力を込めようとするが、徒労に終わるだけ。
そうこうしている間にも、はがれかけた肩と腕が再生して繋がり始めた。女の子は黒い霧に覆われかけている。
呑気に腕が動くようになるのを待つ時間はない。どうにかしてもっと力を加えないと……
頭は僅かに動く。肩までなら頑張れば届く。やるしかない。
比較的自由のきく頭部を、肩や腕の付け根へ向けて、無心で叩きつける、叩きつける……
頭蓋が砕けた衝撃で、肩が半分吹き飛ぶ。だがそれだけの傷では、勢いよく血が噴き出すだけで、到底女の子の元へは届かない。
もっともっと自傷せねばならない。不死だから治る、取り返しのつく傷だから、そのことに気負いなど一つもなかった。
それと比べれば、ここにいる女の子を失えば永遠に取り返せない。
顎が砕けた。そしてついに肩と腕が完全に別れた。腕の断面からおびただしい赤が洪水のように溢れ出る。
これで彼女を救える。そう思って、赤い飛沫を女の子の方へ手向けた。
だが世界は残酷で、血の雨を遮断するように、しめ縄が変形して、血を全て受け止めてしまった。
ここに堕ちる前も後も、絶望し切ったつもりで、誰からも見捨てられたつもりだった。仕打ちをされる余地が残っているとは思っていなかった。
自分が望んだ相手に、血を一滴施すことさえ封ずる圧倒的な悪意。
世界を繋ぐ楔としての生を強要された自分には、ただの人間を寄る辺とすることさえ拒絶される。
黒い感情に支配されながら、瞳に映るのは黒い影に飲まれた女の子。あの心理状態では楽に殺されないのは明白だ。
ここに送られて来たということはそういうことなのだろう……だとしたら苦しむのは理不尽すぎる。
生贄に選ばれるのは、除け者にされて、虐げられた者。十分苦しんで来たはず。
なのに追い打ちをかけるのは、酷すぎる。そんな思いをするのは自分だけでいい。
その願いが叶わないのなら、助けることが叶わないのなら、せめて安らかに死んで欲しい。
この暗闇に刹那の光を灯してくれたのだから。
そう強く願った瞬間、右腕があった場所に声が漏れてしまうほどの激痛が走った。
反射的にそこを見やると、黒い影が腕の断面に抉り込み、血を採掘していた。
なにをしているのかわからないでいると、断面に取り付いた黒い影が飛び出して、女の子の方へ跳んで行った
黒い影はそのまま地面に激突すると、破裂して採取した血液を辺りにぶちまけた。それは幸運なことに女の子の指先にまで届いていた。
思わぬ相手からの善意に驚きを隠せない。黒い影が向こう側の存在だから、自分の強い想いに応えてくれたとでもいうのだろうか。
疑問は止まないが、とにかく女の子がほんの少し復活して身体を動かし始める。自分の血で僅かに生命力を取り戻してくれた。
でも、それだけではあまりにも不十分だった。女の子には生きる意志が薄弱にすら程遠く、死にぞこなったという想いが強い。
その感情に黒い影が取り付き、現実にしようと塞がった傷口をほじくっている。
その後ろ向きな気持ちをどうにかしないと救えない。
しかしそんなことを自分が出来るとは、到底思えない。誰からも必要とされなかった理由を、自分でわからないような存在だ。
そこまで絶望し、失望し切った心に寄り添えるはずがない。自分がそうなのだから。
よしんば上手くいったとして、傷を舐め合うのがせいぜいだろう。
それになにより、自分の存在を彼女が認識できないのだから、どうしようもない。
せめて声だけでも届くようになっていたら……でも、もし届いたとして、愚かな自分は逆に追い詰めてしまうのでは……
不安で仕方がない。誰も教えてくれなかったから、与えてくれなかったから、生きる希望を灯せる優しい言葉とはどんななのかがわからない。
そもそも女の子に生きていて欲しい理由が、自分の寂しさを紛らわせたいなんて、自分本位なものだから、本当に優しい言葉など見つかるはずがなかった。
そのことに気付いた自分は、いっそ開き直って、神様らしい言葉を、試しにかけてみることにした。
「血が出てる。こっちにきて。治してあげるから」
無償で施しを与える、慈愛に満ちた口調で。上手く演じられたかはわからない。少なくとも今度は、言葉が届いたようだった。
辺りを見回して、声がした方を探っている。
自分と女の子の視線が合う。自分は思わず胸が高鳴ったが、女の子は恐怖を感じていた。
彼女の感覚を探ると、どうやら自分の存在を、抽象的な物としか認識できていないようだった。
それでも恐怖を抑えて、女の子は自分の方へと近づいて来てくれた!
自分を選んでくれたことがこんなにも嬉しいとは思わなかった……
誰かといることに飢えすぎていたから。ただ近寄って、寄り添ってくれようとすることが幸せでたまらなかった。
女の子はもう死にかけで、ぼろぼろの身体を引きずって、命からがら自分の元へと辿り着く。
それは幸福でたまらなかったはずなのに、女の子と自分の距離が縮まるにつれて、胸に不安と恐怖が湧き上がってくる。
ここに堕ちる前の、遥か古の罪が、鎌首をもたげてもう一度自分を断罪しようとしているのが感じられた。
「だっ……」
悪い予感がした。とっさに女の子を制止する……間に合わず彼女は自分の体に触れてしまった。
突如、女の子はあまりの苦痛に身体を飛び跳ねさせ、のたうち回り始めた。
それは散々拷問され尽くした自分が背筋を凍らせてしまうほど強烈な光景。
痛みなのか、なんなのかわからない感触に、全身全霊を蹂躙され、その苦しみを体の動きで訴えている。
痛みを誤魔化すために四肢が破裂するまで、地面に叩きつけ。
海老反りになった背骨が折れて、体が二枚に折りたたまれて。
致命傷になるそれに彼女は一切気づいていなかった。
どうしてこうなったのかわからない。わかるのは、自分のせいでこうなったということだ……
いや……多分やきっとを確実にする記憶があった。今の今まで、目をそらしていただけで。
ずっと屋敷に囚われていた。その生活で人間を目にすることは少なかった。
牢獄の隙間から見た人間は自分と同じ姿をしていた。
屋敷にいる存在はその誰とも違った。人とも動物とも違った、異形の姿をしていた。
何も知らされず、監禁され、隔離され、生贄にされた。それはただの理不尽だと思っていた。でも理由はあったのかもしれない。
あの異形を生み出したのが自分だとしたら……
永劫を経てもわからなかった、自分が虐げられた訳を理解した。
目の前で悶える女の子が、ほんの少しづつだが姿を変化させ始めたから。
今はまだ辛うじて姿形こそ人間だが……自分といればじきに、記憶に焼き付いた異形へと変わるのだろうか……
彼らは自分がいなくなった後、どうなったのだろう……
感覚を読んだ時、彼らは確かに苦痛を感じていた。それが奇異の目によるものか、肉体的な苦痛だったのか……
前者に関してはもう取り返しがつかない。胸骨の辺りから、着ている服を突き破って、新しい指が生えてきている。それが腕に変わるのも時間の問題だろう。
肉体的な痛みがあることは、我を忘れて暴れまわり、絶叫しているのを見れば、明らかで……
理不尽に捨てられた理由がわかれば、少しは救われるかと思っていた。明確な怒りか、さもなくば納得を手にできるから。
でも現実は救われなかった。
自分はそう扱われて当然な、湧き出る黒い影と相違ない、呪いを撒き散らす、ただの呪物でしかなかった。
その事実は、ただただ理不尽で、自分ではどうしようもなくて……
排除された理由は納得できても、どうして自分が呪物として産まれたのか……そのことに満足いく理由は、誰もくれなかった。
女の子の様子が落ち着いた時には、もう人としての形はしていなかった。
骨格は歪み、ありえない箇所から指が生えている。増殖した内臓が外にはみ出して、脈打ちながら命であると主張している。
自分の影響で、黒い影の侵蝕は抑えられているのか、傷口は綺麗に塞がってこそいるが……
「よかった。綺麗に塞がってる」
罪悪感を減らそうと、欺瞞に満ちた言葉が口から漏れる。
反射的にそんなことをする、そんな自分が嫌になった。
「こういう治し方しかできないの。ごめんね……」
次に出たのは謝罪の言葉だった。
直したなどとは、口が裂けても言えない惨状……自分の寂しさを埋めたい一心で、苦痛を背負わせてしまった……
謝って済む問題ではないとわかりながら、謝って済まそうとしている。
それでも自分の罪に向き合おうと、目をあげる。
また目があった。今度は自分をちゃんと認識してくれていた。そこに恨みや恐怖の感情は宿っていなかった。
あるのは同情と幸福だった。どうしてそうなるのか、疑問に思って女の子の記憶を探る。
そこにあったのはいわれのない暴力と差別。
他の人と同じであるはずなのに、親に捨てられ、環境から零れた。
それでどうしようもなくて、身を投げた。生贄ではなかった。それが寂しかった。
それは本質的に自分とは違うのだと、傷を舐め合う権利さえ自分にはなくなったと思えたから。
この子は存在するだけで周りを破壊する自分とは違う。それを知らないから、同じ境遇なのだと思って優しくしてくれる。
自分にそんな価値はないのに。ただ運が悪くて、周囲が歪んでいて、どうしようもなかった貴女とは違うのに。
そうじゃないと今知ってしまった自分に、その優しい無償の視線は耐えられない。
貴女はこんな自分を選んでくれるの? 一緒にいるだけで、周りを傷付ける自分を?
もう一人で痛みに耐えるのはうんざりの自分が、この誘惑に抗わないといけないの?
そんなこと出来るはずがなくて、結局貴女の優しさにすがってしまう。
自分が貴女を受け入れることで、幸せを感じているのだから、構わないんだと自分に言い聞かせながら……
日に日に女の子だった存在は、変わっていった。
神と呼ばれた自分との境界が、徐々になくなっていき、感情を読みやすくなる。
それに比例して、異形化も進行していった。指だったものが腕になり、腕だったものが頭になる。
言葉も人間が発するものから、昔屋敷で響いていた呻きのようなものになった。
幸いなことに、女の子は自分の変化には無自覚だった。
見た目なんて自分達の関係には無関係なのだから、彼女本人は知らない方がいい。
でも、異形に近づくほど、黒い影……というより向こう側の存在である神へと近づいていき、日に何度も何度も引き摺り込まれそうになる。
辺獄に引きとどめるのが、どんどん困難になる。
距離に比例して異形化は遅くなるからと、物理的に距離を置いていたが……もう側で密着していないと、貴女を黒い影の侵蝕から守りきれない。
零距離で、しめ縄に血を吸われる前に、自分の血液を注ぎ続ける。
自分の幸せを護るため、貴女に心血を注げば注ぐほど、常世の存在から……人から離れていく。
その度に向こう側へ強く引き寄せられるようになって、貴女を禊ぐためにまた血を注ぐ。その繰り返し。
どうしようもない負の連鎖。二人で思い出を重ねることさえ、長くは持たなさそうだった。
別にこんな風に産まれたかったわけじゃないのに。不老不死なんて、憧れの能力と引き換えに、周囲を呪ってしまうくらいなら、瞬きの短命がよかった。
女の子も除け者にされたかったわけではないのに。ただ愛されたかっただけなのに、こんな存在にしかもたれかかる場所がなくて。
ただ不幸で、恵まれなかっただけで、どうして二人は苦しみと引き換えでなければ、幸せを得られないのだろう。
不幸をはねのけて、幸せを掴み取るだけの力は二人にはない。
神のなり損ないと人の行き着く先に、光は見えなかった。
私たちは、自分が流した涙を拭ってくれる人なんていなかった。私たちは、刹那の間だけでも、潰えると分かりきっている光の中で過ごしていたかった。
「これからなにする? これが邪魔で、できることあんまりないけど……」
女の子がここに堕ちてきて一月が経った。
最初は姿さえ見えていなかったのに、今では念話を用いて会話ができるまでになった。
誰かとこうしてお話しするなんて、夢のようで……ただこうしているだけで幸せで。何度噛み締めても足りなかった。
「また私のこと考えてくれてる? 嬉しい」
存在するだけで有害な自分を、無条件で肯定してくれることが嬉しかった。
存在するだけで愛する人を傷つけてしまう自分を、無条件で愛してくれることが辛かった。
ほとんど蠢くだけの塊と化した貴女を見ていると、これ以外の結末があったのではないかと。
優しくて、周りを傷つけない貴女だけなら、もっと何か、何も犠牲にしない結末があったのではないかと。
「また悲しそうな顔してる。何をそんなに気にしてるの? 辛いことは分け合おう。ね?」
全身に女の子の肉が変質したものが巻きついて離れないし、もう離せない。
温もりを欲し続けていたから、こうして全身で貴女を感じられることがただ幸福だった。
それを失ってしまうことが、ただただ恐ろしかった。
向こう側に連れて行かれた時に貴女が味わう苦痛を思うと、自分の身に降りかかればどれだけよかったかと思わずにはいられない。
罪のない貴女があの時死ねていればと、後悔する結末にしかたどり着けないことが悲しかった。
「私はここに来られて幸せだよ。絶対変わらないよ」
「私もここに来てくれて嬉しいよ。ずっとずっとここにいようね」
二人で優しい言葉を掛け合う。
女の子が強く抱きついてくる。また引き摺り込まれそうになったから。昨日よりも強い力で。
それがおさまると、今度は寂しそうに女の子が轟く。
先が長くないことを、お互いに薄々感じていた。
きっと痛みや恐怖があるはずなのに、それを気丈に振る舞って、今ある有限の幸せを分けてくれる。
貴女は貴女のためではなく、こんなどうしようもない、呪われた神様のために命を削って、そばにいてくれる。
やっぱり人間は神と釣り合わない……こんな自分に貴女はもったいないよ。
「私のためにありがとう」
どちらが発したかわからない言葉。きっと同時だった。
それが滅びの合図だった。
背中に巻きついた肉壁の内部から突然、黒い影が溢れ出した。
悲鳴が広大な辺獄に木霊する。
赤黒い血が、滝行のごとく降り注ぐ。
ずっと引き摺り込まれているのだと思っていた。
でも本当は、自分に近づいているのだから、同じように身体に黒い影を溜め込み続けていたのだ。
前触れなく訪れたあっけない終わりに、気が違いそうになる。
どうにかしようと争うが、どれだけ血を注いでも、肉の破裂が止まらない。
止まらない。
止まらない。
黒い影は自分の真下から湧いて出てくる。
そこに引き摺り込まれるのを見ていることしかできない。
抱きついてくれている身体が裂けて、向こう側へ堕ちていくのを掴むことさえ、しめ縄が許さない。
祈った。願った。最初貴女に出逢った時のように、もう一度黒い影が護ってくれることを。
奇跡が再び為ることを願った。
貴女の最後の一片が体から零れ堕ちた瞬間、永劫に続く痛みを耐えて得た自身の全てが、幸せがもう戻らないことを理解した。
自分が苦しいより、相手が苦しい方がよっぽど辛い。
そう思える相手に出逢えたのはきっと幸せなこと。
私は少女を一人ぼっちにしてしまう。こんな場所で永遠に。
捨てられて、奪われて……そんな結末、納得できない。