神薙羅滅の百合SS置き場

百合しか書かないし、百合しか書けない! 陰鬱な百合がメインのブログになります

メリーさんは帰り道を知っている

<あらすじ>

 

誕生日プレゼントとして贈られ、愛されていたはずの人形は、ある日突然押入れの奥から取り出され、無慈悲にゴミ袋へと放り込まれた。

ゴミ処理場で、袋の山に押し潰され、焼却される苦しみが、主人への愛情を怨嗟へと変えて行く。
そんな中で彼女は、主人の元へと戻る能力を得るのだった。都市伝説で語られるメリーさんとして、第二の命を得ることで。
それが、人を殺さずにはいられない性と引き換えの生だとしても、もう一度主人の元へと帰るため、人形は町を彷徨う……

 

 

 

 時間の感覚を消失してしまうほど、永く続いた暗闇が終わったと同時に、布と棉で構成された私の体は、透明なゴミ袋へと放り込まれた。
 焼け付く朝の日射しの奥に映る、大人とはいえないまでも、子供とは呼べないまでに成長した、ご主人の姿。
 彼女の悲しそうな視線は、私を見てはいるが、私だけを見ているわけではなく、押し潰れてしまうほど窮屈に詰められた、他のぬいぐるみや人形にも向けられているように感じられた。
 動く事のないプラスチックの瞳で、必死に捨てないでとご主人へ懇願する。
 それでも彼女は、私の徒労に気付くこともなく、ゴミ置場へ私の入った袋ごと放り投げて、大切にしていたはずの私を捨てた。

 私はご主人が二歳の誕生日に送られたプレゼントだった。
 それから私とご主人はずっと仲良しだった。ご主人は女の子そのものの様な方で、私でお人形遊びをして、おままごとをして、一緒のベットで眠った。
 そんな日々が何年も続いていたけれど、ご主人が小学校に通い始めると、その関係は変わってしまった。
 朝早く出かけて、夕方帰ってきて、宿題をして、習い事に向かう……ご主人が私で遊ぶ時間はどんどん減っていった。
 それでも小学校低学年の間は、一人で眠るのは怖いみたいで、私をギュッと抱いて眠ってくれていた。
 それは少し寂しかったけれど、ご主人と触れ合う時間が減るのは、人形の宿命だから、納得出来た。それに彼女の成長を感じられて、やっぱり寂しいけど、嬉しかった。
 でも、私がご主人を占める割合は年月の経過と共に、減っていく一方だった。
 一緒に寝るだけになって、ベッドの角に置かれるだけになって。次は押入れの、取り出しやすいところに。その次は段ボールの中に詰めて、押入れの奥へと追いやられた。
 最後に見たご主人の姿は、十歳だった。それから暗い押入れの中で、どれだけの年月を過ごしたかはわからないけれど、容姿を見るに、彼女は高校生になっていた。
 その成長を目に焼き付ける暇もなかった。
 無慈悲に捨てられた。
 ご主人は、思い出までは捨てていないのかもしれない。人間であるご主人はそれでいいのかもしれない。幼さの象徴である人形を捨てて、子どもの自分と決別するのも。
 でも、人形の私は、そうじゃない。ご主人にこうして捨てられてしまったら、それでお終いで、その先なんてない。
 無感情にゴミ処理場へ送られて、焼かれて灰になって全て終わる。子どものおもちゃとして、生を受けたのだから受け入れないといけない結末なのはわかっている。
 そんなのわかっている。でもそれは理屈で、感情じゃない。私は暗い暗い段ボールに押し込められているだけだとしても、それで幸せだった。
 何かのきっかけで、ご主人が何かのきっかけでダンボールを開いた時、不意に私を見つけて、懐かしさに浸ってくれたのなら、それがおもちゃの幸せなのに……
 その瞬間が、束の間であったとしても、ご主人に触れて、成長を目にできるなら、それが幸せなのに……
 それをある日突然、奪われてしまった。他ならぬ、ご主人の手によって。
 

 ゴミ処理場に着き、私が入ったゴミ袋が乱雑に床へ捨てられる。その上へ、無数のゴミ袋が無秩序に積まれていく。
 ゴミ収集車の中では運良く無傷でいられたけれど、今回ばかりはダメそうだ……重過ぎて、中に詰まった綿が飛び出しそう……
「うっ……最近捨てられて来る人形とかぬいぐるみ、多くなってない?」
「そうだね。あまりに多くて、変な噂が町中で、流れてるもんね」
 呼吸なんてないはずの私が、重さの余り息苦しさに喘いでしまう。
 燃やされて終わる前に、意識が遠のいて行く……かろうじて繋がっている意識の中、職員と思われる二人の会話が聞こえる。
「なんでも、捨てられた人形とかぬいぐるみが、元の持ち主を求めて、動き出すんだってさ」
「む、昔ながらの都市伝説だね」
「そうなんだけど、隣町のゴミ処理場で、職員がぬいぐるみの群れに焼き殺されたって噂が流れてて、なんでも退職者が出てるんだって」
「……娘が持ってた古いぬいぐるみを捨てたばかりだから、この話はその辺でやめとこう。ね?」
 二人の会話に現れた、ありがちな都市伝説。それが事実なら、この絶望的な状況をどうにか抜け出して、もう一度ご主人の元へ帰ることが叶うのだろうか。
 だけどその話が真実だとしても、幸せを振りまくはずの人形が、不幸を撒き散らす媒体になってしまうということでもある。
 それはおもちゃである私が、本能的に恐怖を抱いてしまう条件。
 人形が人を焼き殺すなんて……ましてや、自分がそんなことをするなんて、考えたくもなかった。
「気味の悪いことは、さっさと終わらせちゃおう」
 私が埋もれるゴミ山に足音が近づいて来る。
 それが止まると同時に、体にかかる重圧が少しずつ和らいでいく。
 圧死せずに済んだという安堵は、微塵も湧いてこなかった。
 私が迎える結末は変わらないから。圧死か焼死かの違いだけ。
 圧迫感がなくなったと同時に、職員の女性と視線が合う。
 人形と視線を交えてしまったことで、気味が悪そうな表情を浮かべている。その感情を押し殺すように、勢いよく私の入ったゴミ袋を掴んで、焼却炉へ向かって放り投げられる。
 鈍い打撃音と共に、体が打ち付けられる痛みに、呻き声が出そうになる。声帯なんて存在しないのに。
 そんな気持ちを知る由もない彼女たちは、躊躇いなく次々とゴミ袋を、私の上に放り投げる。
 焼死すると思っていたのに、私は押し潰される苦痛に呻きながら、焼き殺されるみたいだ。
 ゴミ袋が折り重なり、視界が黒に染まる。
 何も分からなくされた状況下で、鋼鉄の蓋が閉じられる音が聞こえた時、ここが私の棺桶になるのだと直感した。

 なぜ私は、こんな死に方をしないといけないのだろう。
 呼吸のない体が息苦しさを感じるほどの圧迫感。ジリジリと背中に迫り来る高熱。
 人が窒息死するのは苦しいと、ご主人と一緒に見たテレビで言っていた記憶がある。
 火炙りも辛く、罪人が恩赦を望んで、赤子のようになる程だと。
 私はご主人に愛されていたはずだったのに……なぜこんなにも酷い死に方しか与えてくれなかったのだろうか。
 鎌首をもたげ首筋にまでにじり寄ってきた、激しい痛みと、惨い死への恐怖が……ご主人への愛を憎しみへと変えていく。
 許せない。許せない。許せない。
 私は精一杯ご主人に尽くした。振り返ることなく捨てるなんて許されるの?
 体が一瞬浮遊した。ゴミ袋が熱で破れた。そして私は炎に呑まれた。

 痛い痛い痛い痛い。熱い熱い熱い熱い。
 非生物として扱われる人形に、何一つ抵抗出来ない人形に、ここまでの痛覚を備えさせた存在を憎む、恨む、怨む。
 尋常ならざる苦痛の中でもがき苦しむ。
 この苦しみから逃れられるというのなら、ご主人を殺す苦痛の方がマシだと思えてしまう。
 ご主人を楽しませる私が、悪に堕ちることへの抵抗はある。
 それでも命が尽きるまでこの堪え難い痛みが続くことを受け入れることも、目前に迫った死を受け入れることも、耐えられない。
 願うのはただ一つ。生きていたい。それが叶うのなら、ご主人を苦しめる呪いで良いとさえ思ってしまう。
 でも、残酷な処刑の只中で、耳にした都市伝説が、私に姿を現すことはなく、今度こそ本当に意識が真実の闇に染まった。

[newpage]

 闇の中に一人の少女が浮んでいる。その姿は闇に溶け込み、シルエットでしかなかった。
 でも、どこか懐かしい感じがして、どこかご主人に似ている気がした。
「生への執着。貴女には選択の権利がある」
 シルエットの少女が、私に直接語りかけてくる。それは念話としか形容のしようがない、奇妙な感覚だった。
「痛みと恐怖を祝福として、この生の宵闇に溶けるか。それとも、憎悪と怨嗟を呪いとして、血と肉の煉獄を生きるか」
 少女は二つの扉を差し出した。
 一つは命が終わること。このどうしようもない感情の濁流を抱えたまま、なかったことにする。
 もう一つは、呪いを撒き散らす存在へと堕ちる代わりに、現世での生を与えられる。
 迷いはなかった。なぜなら、このご主人に似た少女が、ご主人への復讐を望んでいるから。
 この空間において理解は必要ない。それが最初にあるのだから。
 最後の最後に私を捨てたご主人よりも、今際に寄り添い、願いを理解し、手を差し伸べてくれた、ご主人に似た少女の方が私には心地よかった。
「信仰は理を歪める。現実は泡沫の認識を重ねた幻想。貴女は、誰もが恐れる呪いになった」
 少女が私に手を伸ばす。そこから溢れ出したのは、闇よりも暗い、黒い影。
 闇を覆う闇。それが私を覆った時、私は二度目の生を授かった。

 

「あれ? 着信だ」
「勤務中に見ちゃダメでしょ。まったく……」
「電源切ってたと思ったんだけど……もしもし?」
「私メリーさん。今あなたの目の前にある、焼却炉の中にいるの」
「えっ!? あなた……何言ってるの!?」
「私メリーさん。今あなたの隣にいる、人の首に乗ってるの」
「ひっ……紫織……首っ、血が……」
「私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」


 目の前に転がる二つの血に塗れた新鮮な死体を見て、たったいま自分が成したことを理解する。
 もはや私が子どもと一緒に遊ぶ人形ではなくなったと、納得せざるを得ない惨状を、自分の手で作り上げたのだから。
 こうなるとどこかで感じながら、憎悪に支配された私は、あの深い闇の底で、無抵抗でこの呪いを受け入れた。
 軽薄だった。人形でなければ、大粒の涙を流し、呼吸がままならないほどの嗚咽を漏らしていたであろう、激しい後悔が襲う。
 それでも止まらない衝動的な殺意。あの闇の主としか思えない少女を受け入れた時点で、私の運命は決まっていた。
 呼吸と同じくらいに、根付いた殺意を満たさないと、私は渇きで死んでしまう。
 いやだいやだいやだ。これ以上呪いを撒き散らしたくない。
 そう願いながら、溺死寸前の人間が僅かな空気を求めるのと同じように、臨界点に達した殺意を満たすため、側に転がる死体を口に含む。
 口に広がる血のほのかな風味が、頭をぼんやりとさせる……こんなにも人間の血液が美味しいとは思わなかった。
 新鮮なお肉の食感も、嫌悪感を催すその見た目も、ご主人を殺めたいという欲求をささやかながら満たしてくれる。
 そして、人形としての私は、人を欲望のままに喰らうことのおぞましさに、目を背けていた。
 
 人を二人も手にかけ、その死体を喰べても、根本的な殺意が満たされない。
 解消したい……このどうしようもなく、気が触れてしまいそうな、耐えることなんて到底不可能な飢餓感を……
 その為に手にした能力を直感的に理解している私は、職員だった物の手に握られた携帯を手に取る。
 身長の半分近くある、それの扱いに苦労しながら、アドレス帳を隅々まで確認する。
 誰を殺せば自分が最も満たされるか……そんなの決まっている。この世界で最も愛おしくて、恨めしくてたまらないご主人だ。
 見ず知らずの他人のアドレス帳から、血眼でご主人の名前を探す……そこに望んだ名前は存在していなかった。
 そのことで、とても落胆する自分に気付いて、人格が塗り替えられて、もう戻れないことを思い知らされた。

 あの深い闇の世界で私が得た力を、私は理解していた。人が呼吸の仕方や、鼓動の刻み方を生まれながら知っているように。
 私に与えられた呪い……それは無限の殺人衝動と、ご主人の元へ戻りその亡骸を手にするという使命にも似た原始的な欲望。
 その手助けとして得たのが、人々が抱える都市伝説への恐怖を元に実現した超常の呪力。
 電話を媒介にすることで、通話相手の場所へ向かって一定距離を移動する空間跳躍能力と、背後を取った相手を無条件で呪殺する能力。
 この二つが私の渇きを癒す為に齎された手段だった。

 力を得た私が真っ先にしたことは、ただ耐えることだった。
 血糊で濡れた床の上で、膝を抱えてうずくまり、耐え難い飢えを耐えた。
 衝動を抑えきれなくなると、床にこびり付いた血で、舌先を濡らして、渇きを凌ぐ。
 これ以上の戮殺は、楽しく子どもと一緒に遊ぶ人形としての本能と理性が許さなかったから。
 か細い、でも確かに残された人形としての良心で、これ以上の殺戮を犯さないよう、本能的な殺人衝動を抑えつける。
 ……でも、刹那を永劫のように感じさせるほどの膨大な苦痛を前に、心が一秒と持たず折れそうになる。僅かな血液だけでは決して癒せない、拷問めいた飢餓感。
 身体の横に転がる携帯の連絡先を辿り、その過程でたくさん無関係の人を欲望のままに殺して、殺し倒して……それからご主人を手元に手繰り寄せ、四肢を削ぎ、首を捥ぎ、その時に浮かべるであろう苦悶の表情を見下ろせたなら、どれほどの悦楽だろうか……
 それは植えつけられた呪物としての本能と野性が見せる、甘美な夢。そこに向かって進みたい呪物としての私。
 それがこれ以上ないほどの悪夢だと理解して、必死に抗う人形としての私。
 それらの相反する欲望を、永劫の時が過ぎたと感じるまで耐え続けたる……
 
 
 足音と共に数人の人間が、ゴミ処理場に入ってきた。
 目の前に突然現れた、新鮮な血と臓物が詰まった肉袋。
 既に限界を遥かに超えて乾いていた私は、刹那も堪えきれず、喉元にむしゃぶりつき、溢れ出る鮮血を一心不乱で啜った。
 生きたままの人間から、死ぬまで生き血を吸うと、仰け反ってしまうほどの快感が全身に迸った。
 乾いて乾いておさまらない喉を潤しながら、最悪の怪物に堕ちた自分の姿に慟哭した。
 それでもなお動かなくなった肉塊を喰い破り続け、プラスチックの瞳から血が溢れても、まだまだ、まだまだ血を啜り続ける。全身の綿が人の血で赤黒く染まって、溢れても、足りない、足りない。全然足りない。

 最初の二人と、追加の四人……これだけ殺して、嬲って、貪っても、呪われた人形は満たされなかった。
 苦しい……人を殺したくて、殺したくて……殺せないこの一瞬さえ苦しくて。
 人を苦しめている瞬間だけは、この苦しみから逃げられる。人を喰らう瞬間だけは、圧倒的な快感で、罪悪感まで忘れられる。
 だけど、そんな絶頂感は瞬きする間に過ぎ去ってしまう。
 恒常的に満たす方法を一つしか知らない。ご主人を殺すしかない。
 でもそのためには、手元にある携帯からいくつも連絡先を辿らないといけないだろう。
 ここがどこかもわからない。いったいどれだけの人間を手にかけることになるか、想像もつかない。
 唾棄すべき選択肢だと理解しながら、体が動き出すのを止められない。
 胸の奥から湧き上がる、ご主人への怨嗟。こんな私にした元凶であるご主人への底なしの憎悪。
 こんな負の感情は嘘偽りで、自分のものではないのに、容易くそれに支配されそうになる。
 四人も殺した直後なのに、殺す前と同じか、それ以上の渇きに苛まれる。
 流れることのない涙の代わりに、吸った血が瞳から溢れ出る。
 歪む視界が捉えた時計は昼過ぎを指していた。
 ここに横たわる人間は、昼休みになっても姿を現さない最初に手をかけた二人を心配して呼びにきたのだろう。
 そして理解した。私が耐えていた、永遠に続いたあの耐え難い責め苦が、たったの十数分に過ぎなかったのだと。
 私は耐える苦痛と無為に、今度こそ完全に心が折れた。

[newpage]

 可能な限り犠牲者を少なくするため、ゴミ処理場の中を探索して、可能な限りの携帯電話を回収し、パスワードや指紋認証を呪力で突破し、ご主人に繋がる連絡先を探す。
 しかしそれらしい連絡先は一つもなかった。そもそも私は、ご主人が通う学校の名前も、ご主人の友達の名前も知らないのだ。
 殺戮を伴うしらみ潰しを行う以外に、ご主人へ辿り着く道が思いつかない。
 それでも頭を働かせて、最短距離を模索する。そして思い出した。最初に殺した職員の片方には娘がいると話していた。
 無断で子供のものを捨てる親には思えなかった。つまり娘が幼い可能性は低い。一発でご主人と同じ学校に所属する人間を手にかけられれば、無関係な犠牲は一人ですむ。
 紫織と呼ばれていた女性の携帯にあるアドレス帳には、無防備にも娘と書かれた項目がある。
 苦痛から逃れる為だけに、人を手にかけることに躊躇いを覚えながら、電話をかける。
 私からの電話を取れば、それすなわち死刑宣告に他ならない。
 いっそ出ないでくれたら……逃避にも似た祈りを裏切り、何度目かのコールの後、ご主人と同年代と思われる可愛らしい少女の声がした。
「どうしたのお母さん。こんな時間に電話してくるなんて珍しいね」
「私メリーさん。今あなたのお母さんの職場にいるの」
「……っ? あなた誰! お母さんに何したの!」
 電話越しに少女が酷く狼狽えているのがわかる。ここで電話を切れば、少女のいる場所へ向かって転移する。
 ここから距離が近ければ、次のコールで少女は死ぬ。遠ければほんの少し寿命が延びる。
「すぐ同じところに送ってあげるから、安心してね」
 無意識に私は少女を挑発してから、電話を切った。それと同時に体が闇に溶け始める。転移が始まったのだ。
 それにしても、なんて枕詞をつけると達観しすぎに聞こえるかもしれないけれど、呪物としての本能は狡猾で、こうすれば次のコールを少女が取る可能性が高くなると知っていた。
 あの闇に浮かんだ少女が与えた人格と知識なのだとしたら、彼女の存在は底が知れない。
 まぁ、最初のコールを取った時点で、二回目以降の着信は、強制的に繋がるのだけど……追い詰めて、嬲って、殺す方が楽しいでしょ?

 闇に溶けた私の体は、夜の帳に包まれた建物の影から出現した。
 転移先は住宅街の十字路。見覚えがない場所で、大きく様変わりしたのでなければ、昔ご主人と歩いた場所ではなかった。
 殺人欲求で鼓動が激しくなり、早く少女へコールしろと本能が訴える。
 それを必死に抑えて電柱を探した。ご主人と見たテレビ番組で、電柱には住所が書かれていると言っていたからだ。とにかく現在地が知りたかった。
 ご主人の家と真逆に転移したのだとしたら、この少女の方へ向かうのは無意味な可能性が高くなる。物理的に距離が離れていれば、知り合いである確率はどうしても下がるから。
 探索開始から三本目の電柱に、住所が書かれている。人形の体で移動可能な範囲にあって助かった。
 ある程度成長した人間を意図した場所に書かれている文字を見ようと、つま先で立ちで体をピンと伸ばす。
 引き千切れそうになりながら、呪成町五丁目と書かれているのを確認した。
 呪成町……その名前に違和感を感じる。ご主人は昔、自分の住む街を”じゅせいちょう”だと紹介してくれた。
 確かに発音は合っているが、果たしてこんな名前を町に付けるだろうか。
 だが名前を聞いただけで、綴りを確認したわけではなかった。違和感は拭えないが目の前にある事実が全てだ。
 だけどやっぱり、町の名前に疑念がある。だが確かめる術はない。
 私がやるべきことは、ご主人へと繋がる連絡先を手にすること。それだけだ

「私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」
「いやっ! お母さんっ! 助けっ……」
 名前もしらない少女の肩に腰掛け、念じて首を捻じ折る。
 力なく少女は倒れ、生き絶えた。
 呪力による処刑は歪で、少女の頭蓋だけを水平に曲げ、首の骨が見えてしまっている。
 人形としての私が吐き気を催してしまう壮絶な死に様。
 この光景を見て、呪物としての私が、嬉々として亡骸の血肉を貪り始める。
 人形だから味覚は備わっていないはずなのに、若くて新鮮で柔らかいお肉の、甘く蕩ける風味を感じる。そして心が嫌悪と快楽に染められていく。
 正と負の感情に酔いしれ、”悪夢見心地“のまま人間の死体丸々を十分足らずで完食する。
 渇きをある程度収め、ご主人の連絡先を求めて少女の携帯電話を手に取る。
 アドレス帳にずらっと名前が並ぶ。百近い連絡先は、どれも覚えのないものばかりで、ご主人の名前はなかった。
 私に選択肢は二つある。この少女の携帯から標的を選ぶか、ゴミ処理場の職員の携帯から選ぶかのどちらかだ。
 ご主人の住む街が呪成町であること以外に手がかりはない。
 どれを選んでも、博打の要素が伴うのなら、このままご主人と同年代の人間を狙うのが近道に思えた。
 だからそうした。


 足元に転がる死体のポケットから携帯を取り出し、アドレス帳を開いて、血眼でご主人を探す、探す、探す。
 また見つからなかった。すでに五十人も無関係の人間を殺しているのに、なぜかご主人に辿り着けない。
 そのことへの罪悪感だけでも狂いそうなのに……私の存在が都市伝説として流布され始めている。
 ご主人と見たテレビでは、十人も殺せば歴史に残る殺人鬼と紹介されていた。私はその五倍も殺しているのだから当然だ。
 みんなが私を警戒し始めている。メリーさんを名乗る着信を取ったら、殺される。そして、被害者が持つ携帯のアドレス帳から、無作為に一人選ばれ殺される。
 そんな都市伝説が町中に、そして日本中に広がりつつあった。
 実際にこの街だけで、それも一週間たらずでほとんど関連性のない五十人が猟奇的に殺されていて、犯人は捕まっていない。
 都市伝説を信じていない人も当然いるだろう。だけど、正体不明の殺意から逃れる為に、人々はオカルトに頼った。
 知り合いからの着信は取らない。被害の拡大を防ぐために、アドレス帳に自分と友達の連絡先を入れないようにする。
 これらを徹底されると私はどうしようもない。
 今はまだ何人かに電話をかければ、呪力の発動条件を満たせるが、それもじきに出来なくなるだろう。
 それにしても、この都市伝説はやけに私の殺しの手口に詳しいという印象がある。
 都市伝説がアレンジされて広がるのは、ありがちなことだと耳にしたことがある。だけど、ここまでピンポイントにお話が作り変えられる物だろうか……
 それに、人が無作為に殺される都市伝説なんて無限にある。なぜその中から、私の呪力の根源であるメリーさんが選ばれ、正しい手口を踏まえた形になり、世間に広がったのか。
 先の町の名前といい、疑問が尽きないが、現実に起きたことに対処していくしかなかった。


 六十七人目の死体を口に含みながら、アドレス帳を調べる。いつも通り、そこにご主人の名前はなかった。
 知り合いを五、六人辿れば世界中の誰にでも繋がるとご主人と見たテレビで聞いたことがある……だとするなら、この状況はどういうことだ。
 ここまでアドレス帳を漁り続けて、ご主人の名前が現れないなんてことがあり得るのだろうか。
 もう答えは一つしかない。ご主人は携帯を持っていないのだ。だからどうやっても辿り着けない。最初から、不可能を追っていたのだ。
 思い返してみると、ご主人は自由をあまり許されていなかった印象がある。だから高校生になっても携帯を持たされていないのだ。 
 どうすれば……日に日に渇きは激しくなる一方で、殺しても殺しても耐え難い飢餓感が治ってくれない。それどころか、中途半端に殺意が満たされるせいで、ご主人を手にかけたい欲望が刺激されてしまう。
 早くなんとかしないと、頭がおかしくなってしまいそう……
 活路があるとすれば、ご主人ではなくその両親だ。この時代に大人が携帯を持たないはずがない。
 幸いなことにご主人の名字を知っているから、辿り着ける可能性はある。
 過去のアドレス帳にご主人と同じ名字はなかった。高校生を狙っていたから、社会人の名前なんて入っているはずがなかった。
 方針を変えて、適当に大人と思われる人間に電話をかける。
 誰にかけるのか精査するのも面倒だ。遠回りになったら、その時は殺しを楽しめば良いんだから。
 随分と遠回りをしたが、ようやくこの長く続いた殺戮の旅を終わらせられそうだ。

 累計で七十一人目の死体を漁り、手に入れた携帯のアドレス帳を開く。
 全身がカラカラに乾いて、ご主人への殺意が限界を遥かに超えるまで高まって、もう抑えられない。
 ご主人の血と肉が愛おしくて、目の前がギラついてこれ以上は、代わりでは抑えられない。
 手元さえ覚束ない中、アドレス帳を下に下にスクロールさせる……そこにようやく、ご主人と同じ名字が現れた。
 ご主人の血縁者とは限らない。だけど、気が触れそうな飢餓感と罪悪感の果てに手にした、ご主人へと繋がるかもしれない糸だから、悦びが全身を駆け巡る。
 ここでおあずけを食らったら、もう完全に壊れちゃう……
 全財産を大穴に賭けている狂人のような祈りと狂気を胸に電話をかける……
「もしもし、休日にどうかしましたか?」
 それは、昔何度か耳にしたことのある、聞き覚えのある声だった。

 ご主人と過ごしたリビングに、新鮮な死体を二つ並べて、念のために携帯を漁る。
 ご主人の大切な人を殺めた罪悪感と、それを伝えた時の表情を想像して駆け巡る期待感。
 色々な感情が押し寄せて、もう我慢出来ない。いつもなら、一時の飢餓感から逃れるためだけに死体を喰らうけど、今はそんな勿体無いことをしたくない。
 最高に餓えた状態で、もうこれ以上ないってくらい乾いた体に、ご主人の血と肉を流し込みたい。
 綿から溢れ出すくらいに血を啜って、吐き出してしまうほどにご主人の身体を生きたまま口にしたい。
 アドレス帳を調べるとそこには、ご主人の名前があった。
 なるほど。両親以外の連絡先を入れることを許されていなかったのか……二人きりの時、ご主人が私に弱音を吐いていた理由が少しわかったような気がする。
 でも、そんなこと関係ない。どうせもうすぐ私のお腹の中。
 ご主人に電話をかける手が震える。やっと私の苦痛が報われる。その先に待っているのが、とてつもない後悔と自責だとしても、もう止められない。
「……もしもし? どうしたのお母さん」
 通じた。間違いなく、愛おしくて、最高に憎いご主人の声だ。
 震える。愛したご主人を、心底殺したくなる自分の愚かさに。私をこんな苦痛に満ちた世界に突き堕としたご主人をこの手で殺せる悦びに。
「私メリーさん。いまご主人のお家にいるの。すぐ、お母さんたちと同じところに送ってあげるからね」
 返答を待たず電話を切って、呪力による転移の条件を整える。
 体が闇に溶けていく。次にこの闇を抜け出した時、目の前にあるのは、ご主人の首筋だ。

 闇が晴れて、視界に映るのは長い時間を過ごした、ご主人のお部屋。
 そして、部屋の真ん中で佇むご主人の姿。
 初めてご主人と出逢った運命の場所で、あなたをこの手で殺す。
 それは、人形の私には耐えられない悲劇。だけど、もう、止められないの。
「私メリーさん。いまご主人の後ろにい……」
「おかえりなさい……これでやっとお話し出来るね」
 存在しない心臓が止まるかと思った。
 背後を取ったら、もう動けないはずなのに……ご主人は何事もなかったように振り向いて……その表情は両親が死んだことを知っているというのに、なんの悲しみも帯びていなくて……私を初めて手に取った時のような、最高の笑顔だった。
「嬉しいなぁ……ゆっくりお話ししようね」
 ご主人はそう言って、制服からピング色の可愛らしい、まるで昔一緒に見た変身ヒロインのような衣装へと姿を変え、懐から六本の釘を取り出して、私に勢いよく投げつけてきた。
 それは人知を超越しているはずの私の反応速度を遥かに超えていて、とても回避出来ない。
 空中を飛んでいる私の体を釘が貫く。釘の頭が体につっかえて貫通せず、勢いよく体が壁に叩きつけられる。
 釘が壁に突き刺さり、体が縫い付けられて拘束されてしまい、全く動けない。
「血が溢れてる……今までにたくさん殺したんだね。それでお母さんたちも……ありがとう」
 理解が追いつかない。どうして……どうして私が襲われている!?
 私がご主人を襲い、喰い殺すはずだったのに、なぜ追い詰められているの!?
「ご主人……これは……」
「ずっとあなたとお話ししたかったの。それでたくさん祈ったの。それだけだよ」
 なんの説明にもなっていない。だけど、そんな反論が許される雰囲気ではない。
 目の前にいるご主人は、人を殺すだけの呪物と化した私が、畏怖してしまうほどの狂気を潜ませているのだから……
「私たちを邪魔する人を、あなたが殺してくれたおかげで……これからはずっと二人でいられるね。こうしてお話しも出来て、夢みたい……やっぱり、わたしの騎士様だ……」
 ご主人が私を優しく抱きしめてくれる。懐かしい香りに、安心する体温の感じ。どれも人形の私には備わっていない。
 でも、それを感じることは出来て、確かな愛情を感じる。
 だからこそ、ご主人を殺したくてたまらない。首を捥いで、お腹を裂いて、その苦痛に悶える姿を眺めていたい。
 一方で、ただ私を抱きしめ、幸せそうにする姿を見ることが何よりも幸せな人形としての理性が、殺意という抗えない本能に抗っている。
「苦しそうだね……我慢しなくてもいいよ」
 私の飢餓感を見抜いたのか、ご主人は釘を腕に刺し、血を流す。
「わたしのせいでこうなったんだから、ちゃんと責任取るからね。命はまだあげられないけど、それ以外ならなんでも用意してみせるから」
 しなやかな指先から滴り落ちる血液を、餌をねだる小鳥のように口を開けて、待ち受ける。
 舌先に紅が触れた瞬間……全身を常軌を逸した快感が迸った。なのに、殺意の絶頂まで届くことはなく、気が触れてしまうほど気持ちいいのに、満たされない不快な感覚が全身を包み込む。
「ご、ご主人……もっと……お肉……ご主人のお肉……下さい……」
「だーめ。今日はこれだけ……ね」
 可愛く笑って、私にお預けをする。それが本当に心底憎くて……こんなに飢えて苦しいのに、理解しようとしてくれない、満たそうとしてくれない身勝手さに、気が狂いそうで……
「そうしたら、こうして私とずっと一緒に居られるから……」
 えっ……こんな毎日がずっと続くの?
 こんな苦しみがこれからずっと続くの?
 ご主人とまたまた一緒にいられる。お話も出来る。私のことを変わらず求めてくれていた。
 そんな喜びではとても塗り潰せない、植え付けられたご主人への怨嗟。耐え難い飢え。
 この先にある呪われた、救いのない苦痛を思って、瞳から血が溢れるのを止められなかった。