神薙羅滅の百合SS置き場

百合しか書かないし、百合しか書けない! 陰鬱な百合がメインのブログになります

姉「ニートの妹を養う!」

<あらすじ>

 家に引きこもってたまに家事をする以外は、ゲームをして過ごす妹を養う優しいお姉ちゃん。

 今日も妹が望む理想の生活を支えるために、お仕事を頑張るようです。

 

妹「お姉ちゃんを壊す為に……」 - NAHARASANの百合SS置き場 これの姉視点であり、前編にあたります。

 

 私は妹を飼っている。一緒に住んでいるという高尚な行為ではない。だって妹には、自立しようなんて意志はこれっぽっちもないから。未来永劫働く気も、勉強する気もない。俗に言うニートという奴。きっちりニートの定義にも全て当てはまっている、筋金入りのエリート。
 そんなどうしようもない妹が家族として扱われるとすれば、犬や猫と同様に愛らしいペットとしての道しかない。だからと言って、人間として生まれた以上、ペットになるのは簡単じゃない。実際妹は実家を追い出されて、一人暮らしをしていた私に助けを求めて来た。
「働きたくないから一生養って! お姉ちゃん!」
 三年も会っていなかった妹が突然インターフォンを鳴らして、その第一声がこれだ。その衝撃は、多分一生忘れられないと思う。何せ実家の方では一番賢い高校に通ってた妹が、ダメダメになって現れたんだから。
 再会してすぐの頃の私はそんな妹を社会復帰させようと必死になってたけど、今は微塵もそんな風には思わない。だって仕事でクタクタになって帰った私を出迎えてくれのは、世界で一番幸せな人間だって気付いたから。

 地獄の残業を終えて私が家に辿り着いたのは、時刻が深夜の二時を回ってから。普通の家庭なら誰も出迎えてはくれない時間だけど、私の場合は違う。私には当たり前の様に自堕落昼夜逆転生活を送る妹がいるからだ。
「ただいま」
 夜も遅いから大きな声で言う事も出来ない挨拶だけど、日中欲して止まなかった愛しい妹は、私の声を聞きそびれることなく、パジャマ姿のままで私を出迎えてくれた。
「お帰りなさい、お姉ちゃん。今日も凄く遅かったね」
「うん。もうヘトヘト。シャワーくらい浴びたいけど、明日も七時には家を出ないとダメだから寝るね」
「分かった。私はまだまだ遊んでるよ」
「それなんだけど……今日も理不尽な仕事押し付けられて泣きそうになっちゃって。でもそんなの出来ないから私おかしくなっちゃいそうで……だから私が寝付くまでで良いから側にいて欲しいの」
「もー! お姉ちゃん最近いっつも添い寝要求するじゃん! 私まだまだ眠くないのに! 寝付いても全然私の事離してくれないしさー!」
「うっ……ご、ごめんね。寝付いたら無理矢理出て行っても良いから」
「この前それしたら起きちゃったじゃん! ストレスマッハで眠り浅いからそうなるんだよー! でも私は優しいから一緒に寝てあげる!」
「っ! ありがとう。それじゃ、ベッド行こうか」
 ここまでが最近お決まりのパターン。こうなるのを見越して妹は最近、十二時を超えてからは、誰かとプレイするゲームじゃなくて、ソロプレイのゲームをしてくれるようになった。そうすればいつ私が帰って来ても、中断して添い寝が出来るから。
こういう細かな気配りをしてくれるから、私は妹の事を憎めない……それどころか、より一層愛してしまう。
「お休みなさい」
「お休み。お姉ちゃん」
 眠りに落ちる直前、ベッド脇のテーブルに置かれた、スマホと携帯ゲーム機に目が止まる。どうやら妹は、私が眠った後も側に居てくれるみたい。
「私は大丈夫だから、ゲームしてても良いよ」
「疲れ果ててるお姉ちゃんの睡眠導入を妨げてまで、しようとは思わないよ。だからほら、早く寝ちゃって」
「はーい」
 あぁ……また私は妹の優しさに甘えて、わがままを言って、それに付き合わせてしまった。妹には何一つ我慢しなくても良い人生を送らせてあげようと誓ったのに、これでは暗に養う対価を要求しているような物ではないか。でも忍耐を要求してくる社会に疲弊した私の心身は、思いに反して妹を欲してしまうのだ。
 妹の選んだ生き方は私の人生の希望そのものなのに、自分からそれを汚してしまう。
「我慢しなくても良いからね」
 それも今日で最後にしよう。今日で最後なんだから、今だけは妹を抱きしめて、温もりに浸っていたい……

 瞼が開かない。妹の人生を汚してまで得た、回復ブーストを持ってしても、日々の疲れを解消するのは不可能らしい。
「おはよー。今何時ー?」
「おはよう。お姉ちゃん。六時半だね。また四時間しか寝てないけど、本当に大丈夫なの?」
「平気だよー。大切な人が家に来てくれたからー」
 睡眠不足で呂律の回らない頭を無理矢理叩き起こして、ベッドから這い上がる。昨日、というか今日スーツのまま寝て良かった。着替えずに済む。下着くらい変えるべきかな……めんどくさいから良いや。
「昨日のご飯お弁当箱に詰めて、冷蔵庫に入れてあるから」
「そんなことしなくて良いのに! 遊んでるだけで良いのに!でもありがとう」
 妹は偶に自炊する事がある。私は残業で帰ってこられないから、手料理をいつも食べ損なうんだけど、最近は私の分をお弁当にしてくれる。その日だけは、何一つ喜びのない職場の中だけど、楽しみが出来る。本音を言うなら毎日作って欲しいけど、そんなことさせたら家政婦さんになっちゃう。そんなの私の望みじゃないから口にはしない。
 仕事に行きたくなさ過ぎて、億劫を通り越して、今にも死にそうな体に鞭打って、準備をする。玄関に投げっぱなしのカバンをチェック……スマホの電池が切れてる。まぁ良いか。モバイルバッテリーが入ってた筈。それ以外はいつも通り。後は愛妹弁当を入れて準備完了!
「それじゃ行ってくるね!」
「行ってらっしゃあーい」
 いつも正午に寝る妹だけど、今日はもう眠そうな声をしている。最近私に付き合って早い時間に、ベッドに入ってるから、生活習慣が乱れたんだ。こんな中途半端な昼夜逆転生活は、妹の望みじゃない。何か対策を考えないと。

 いつもより少し早く家を出た私は、当然少し早く会社に着く。小さなセキリュティプログラムの会社で、毎日がデスマーチ。そのせいで職場の皆んな気が立ってる。
「おはようございます」
「何がおはようございますよ! 普通家に帰らないでしょ! 社会人としての自覚がなさ過ぎ! クズ! ゴミ!」
 それだけならまだマシだけど、私は不幸な事に職場のほぼ全ての人間から嫌われている。仕事がそこそこ出来るから周りに仕事を押し付けられ、健気にこなす私を見て男が惚れて、私が振って、それを聞いた帳簿しか出来ないオバさんに嫌われて、謎の人脈で酷い噂を捏造されて。その結果、一番働いてるのに、一番罵詈雑言を浴びる。正しく最悪の職場環境だった。
「うっ…何これ」
 ヒールのプロレスラーの気分を味わいながら、自分のデスクに辿り着いた私を待ち受けていたのは、昨日帰るまではなかった紙の山。
「あんた私が昨日言ったこと覚えてないの? ちゃんと計算機使えって言ったわよね。何かズルしたみたいだからやり直しよ」
 理不尽過ぎる。自分の仕事を私に毎日毎日押し付けてくるから、残業で帰れないんだ。それを解決しようとコツコツ経理のプログラムを組んで、漸く完成させたらズルしたと来た。泣きたい…もう帰って妹に会いたい。
「分かりました」
 しかしここで口答えすれば、状況は更に悪い事になる。この理不尽な苦痛に耐えてさえいれば、妹は幸せに暮らしていけるんだ。私が収入を失ったら、妹の理想の生活は破綻する。感情を殺して、黙々と計算機を叩いて、それから自分の仕事を終えて、それから押し付けられた分を仕上げれば妹に会えるんだ。
 何の技術も、工夫の余地もない業務に一人勤しむ。周りの小さな小言さえ、自分への陰口に聞こえる…というよりそうなんだろう。今や私に告白して来た男ですら、私を地雷扱いだ。まぁそんなの別に構わない。こうやってすぐに手の平を返すって、分かってたから振ったんだから。
 そんなのよりもよっぽど苦痛だったのは、私がニートの妹を養っている事を非難される事だった。そもそも、その事を知っていたのは、私がこの会社で唯一信頼していた友達だけだったのに。血の繋がっていない相手を信頼したのが間違いだった。
 それを知った男には、「俺よりゴミニートの妹を選ぶクソレズ」と罵倒され、歳だけ食ったオバさんには「やっぱりクズの妹は、やっぱりクズなのね」と言われている。まぁ私がどこまでボコボコに言われてもまだ我慢出来る。でも妹をバカにされるのは耐えられなかった。
 妹は決してあなた達みたいにバカじゃないから、そして私みたいに怖がりじゃないからニートをやっているだけだ。少し考えれば分かる。労働するって事は自分から搾取されに行くって事だ。例えそれが会社を立ち上げて軌道に乗ったとして、それも大きな視野で見れば、大企業の歯車になっただけで、まだ搾取される側。その大企業だってまだまだ搾取される側だろう。
 正気ならそんなの耐えられないから、皆んな必死に目を瞑って現実から目を逸らして、血肉を擦り減らして辛うじて生きている。そんな緩やかだから気付かないだけの豚小屋から、妹は必死に逃げ出そうとしてるんだ。
 働かないで、引き籠ってしたい事だけをする。それは誰からも搾取される事のないまごう事なき最高の幸せ。未だかつて下級市民が成し遂げた事のない、搾取する側に回る…それがニートになるって事。そしてその生き方を私は肯定してあげたかった。
 私は実体の見えない相手に、搾取され続けるより、愛している妹の為に甘んじて搾取され、その最後の血の一滴は妹に絞り取って貰う方が何京倍も幸せだ。
 これが妹に働いてって言わなくなった理由。妹が四六時中遊んで幸せそうにしている姿を見て得た天啓。たったそれだけの真実に気付いただけで、私の人生観が百八十度変わった。世界で最も幸せな妹の幸せを私が支えている。その事実が、私のどうしようもない人生に価値を与えてくれた。
 妹の搾取は私を幸せにしてくれる。妹は私をこの世で一番幸せな奴隷にしてくれた。そのお礼に私は妹をこの世で一番幸せな人にしないといけないんだ。

 穴を掘って、それを埋める様な業務を終えたのは、正午を少し過ぎてから。気が付けばこの空間にいるのは私一人だけになっていた。全員私を置いて定食屋さんかコンビニへでも行ったのだろう。まぁむしろそれで良かった。人を見下したような視線ばかり送ってくる群れの中で、ご飯を食べたくない。それに妹が折角作ってくれたお弁当を、あんな人達に見られるのはなんだか嫌だ。
 妹が私の為だけに作ってくれたお弁当に舌鼓を打つ。唐揚げと野菜と焼き魚。ニートには似つかわしくない健康メニュー。昔から要領の良い妹だから、料理も当然上手で、今は時間にも余裕があるからか、下ごしらえもこだわり抜いてて、もうプロの味がしている。そんな妹の料理を食べている時の私の姿は、とても人には見せられない。顔が薬でもやってるかのように蕩け切ってて、実際自分でも素面の時に出ちゃいけない脳内麻薬が、ドバドバ出てるって分かるくらいだ。
 料理漫画でも中々見ない恍惚とした表情で、お昼ご飯を終えた私は、携帯に一件のメッセージが来ているのに気付いた。妹からだ! 滅多に連絡して来ないからちょっとした不安を覚える。恐る恐る内容を確認すると、
「お姉ちゃんへ。今日がゲームの発売日だったのを忘れてたので、帰りに買って来てくれると嬉しいなー」
 案の定とんでもない事態だ。発売日を待つのはワクワクして楽しい時間だけど、いざ発売日にもなって手元になかったらそれは拷問。妹が欲しい物は全部最速で用意してあげられないなんて、そんなの妹を養う姉としての威厳に関わる。早急に対処しないと。
 こうなったら休んでる場合じゃない。他人のデスクから私に押し付けられそうな仕事を…いやそれだけじゃ不十分だ。職場中の仕事を掻き集め、自分のデスクへ書類を高く高く積み上げる。
ふふっ。これを全て終えてしまえば誰も私の定時帰りを止められはしない! 妹に出来るだけ早くゲームソフトを届ける為に、普段は活動してない脳の不活性領域を覚醒させて、人智を超えた速度で仕事を処理していく……

「……終わった」
 昼から休みなく仕事に没頭して、何とか定時までには仕事を片付ける事に成功した。デスクワークしかしていないのに、息が上がっている。それに疲労感が半端じゃない……でもこれで妹が笑顔になる。そう考えるだけで、どんな疲れさえも心地良い。これで今日の残りの仕事は、ゲームショップに行く事だけ。
 妹の事を思えば、私に不可能などない。妹が世界が欲しいと言えば私はそれを差し出せるとまで思う。妹を想う姉に勝るものなどこの世に存在しないのだから。
「それでは失礼します!」
夢にまで見た定時帰りだが、今日だけはそれさえも遅く感じる。一刻も早く駅前のゲーム屋さんに行かないと……
「ちょっとあなた! 何帰ろうとしてるの!?」
 私を呼び止める社会の歯車おばさんの声が聞こえる。だが今日は無視だ。むしろ定時まで残ったのを褒めて欲しい位だ。この世に妹の我慢の上になり立つ物などあっていい筈がないのだから。
「耳も聞こえなくなったの! このグズ!」
 定時帰りする者に浴びせられる罵声と共に、頭部に激痛が走った。何か硬いもので殴られたのだろう…
「あんた何勝手に職場の仕事全部終わらせてくれたの!? そのせいで、社長が納期明日の仕事取ってきちゃったじゃないの! あんたが悪いんだから全部あんたが終わらせなさいよ!」
 一言一句、全て理不尽な罵倒。そして無慈悲に振るわれる暴力。心身ともに限界で、妹の為しか生き甲斐のない私の生存理由すらも剥奪せんとするサビ残強要。
「私達が交代で監視するから、終わるまで帰らせないわよ」
 もう頭が回らない……涙が止まらない……ごめんなさい……ごめんなさい……こんなちっぽけな暴力に屈してしまう程度の、矮小な愛しか注げない私でごめんなさい……
「こいつ妹と付き合ってるらしいわよ」
「まぁ汚らわしい……こんなんじゃ、同性愛者なんて差別されて当然じゃないの」
 ……あぁ……また妹が悪く言われている……妹が社会の歯車ごときの私に身体を許す物か。よしんば許したとしても、私が自分の身体を許さない。妹の身体を穢すなんて恐れ多い事……
「クズはクズ同士慰め合うのがお似合いよ」
 私を寄ってたかってボコボコにしてるからって、良い気になって妹の悪口まで次々と……いっそこいつら全員殺してやろうか……所詮、徒党を組まないと人一人虐められない羊の群れ。誰かの喉を裂けば、尻尾を巻いて皆逃げ出す。後はゆっくり一人ずつ……ってダメだ! そんな事したら妹が大量殺人鬼の妹になってしまう! それに実家に帰ったら、妹がどんな非人道的教育を親に受けさせられるか……私の人生は無価値だからどうなっても良いけど、妹の人生は、人類が原罪と訣別する為の手段を、世界に示す使命を背負っているんだ。私の我儘で台無しに出来ない。我慢しないと……でもここで私が我慢したら、妹も新作ゲームを我慢する事になる…アレ? わたしどうすれば良いんだろう……そもそも妹が《今すぐ買って来て》って言ってくれなかった時点で、ワタシ……妹に我慢させちゃっタ!……アハッ! 私の人生ゼンゼン妹に捧げレテなイじャン……

 やっぱり妹は凄いなぁ。私はこんなゴミ以下の会社一つにすら満足に立ち向かえないのに、妹は社会その物に立ち向かってるんだもん。常人には理解出来なくて当然だよね。本当に自慢の妹だよ……


「ちょっと! お姉ちゃん! どうしたのその怪我!」
「ごめんね……ゲーム買って来れなくて…」
「バカ言ってないで、早く手当てしないと! こうなる前に対処するつもりだったのに! 私のバカ!」


 次の日、私は仕事を休んだ。妹が献身的な看護を徹夜でしてくれたから、身体はともかく、心は元に戻れた。でも……元の感受性が戻ってしまったから、妹のユートピア生活を、一日私で潰させてしまったという罪の意識で気が変になりそうだった。
「ゲーム一つで気にし過ぎだよお姉ちゃん」
「そんな事ないよ。妹の人生の苦痛を全部取り除くって誓ったのに……他ならぬ妹に誓ったのに、沢山迷惑かけちゃってるもん。私に構わないで、妹は自分のしたい事をして。それが私の一番の幸せなの。だから……」
 ズタボロでベッドの上からピクリとも動けない私に、嫌な顔一つせずに一日中引っ付いてててくれる妹。弱り切って自尊心なんて欠片も残ってない今の私に、妹の誘惑を振り切る力はなく、とても離れられようとは思えなくなる様な、悲哀に満ちた声音で、妹の背中を押すのが精一杯だった。
「私の今一番したい事はお姉ちゃんの看護だよ」
 どうして妹はここまで優しいのだろう。折角手にした理想郷を容易く手放してまで、私の面倒を看てくれる。もしも世界中が妹の様な人ばかりだったら、争いなんて、苦しみなんて、消えて無くなるのに。
「ねぇお姉ちゃん。ずっと言おうと思ってたんだけどさ……今の会社辞めようよ。このままじゃ、お姉ちゃん死んじゃうよ」
「でもそんな事したらゲーム買ってあげられなくなっちゃうよ?」
「本当はね、ゲームなんてどうでもよかったの。ただ二人でゲームしたら、私とゲームする為に早く帰って来てくれる様になるのかなって。お姉ちゃん無理してでも働いちゃうから、心配で……」
 妹が哀しそうで、なのに慈愛に満ちた表情で私を見つめながら、私に言葉を注いで行く。だめ……それ以上言われたら、私を支えてた物が壊れ……
「でもダメだったから、今度はゲームを買いに行かせたら、無理にでも早く帰って来てくれるかなって。なのに余計ひどい事になっちゃって……ごめんね……お姉ちゃん……」
 妹が泣いてる。私のせいで。私が妹を世界で一番幸せにしようと、必死に頑張って来たせいで。幸せ一杯にしようとしたのに、空回りして妹を泣かせちゃった。
「ご、ごめんなさい……あなたに苦しい思いをさせちゃう、弱いお姉ちゃんでごめんなさい…」
「そんな事ないよ! お姉ちゃんは人百倍! いや! 人億倍頑張ったよ! だからゆっくり休んで良いんだよ?」
「で、でもそんな事したら生活が!」
「お姉ちゃんがゆっくりお仕事休んで、それから次のお仕事を見つけるまでは、私が働くから! 今まで楽させてもらったから、そのお返しだよ」
 私は世界で一番の愚か者だ。妹は私と暮らし始めてからは、能天気に、遊んで、幸せ以外何も感じない生活を送れていると《信じていた》。でも本当は違くて、妹はこんなにも、ずっと、夢を諦めても良いと思わせるまでに、心配をしてくれていた。
 妹は醜い現実から逃げ出した先でも、優しさを失わずに、私の身を案じてくれていた。それは元いた地獄を直視する行為と何ら変わらないのに……対して私はどうだろう。妹は理想を手にしたのだと、自分に言い聞かせて…『それを叶えさせてあげてるんだから、少しくらい甘えても良いよね』と自分の事ばかり考えていた。
「そ、それはダメだよ! 妹が働かないのは、もう私の夢なの! 私の弱い心じゃ叶わない空想だから、不安に押しつぶされちゃうから! 妹が働くくらいだったら、私に生命保険をかけて殺して。そしたら妹はずっとは無理でも、数年は夢を叶えられるよ。だから……」
「確かにそれで私の最初の夢は叶えられるんだけどさ。お姉ちゃんと再会して、夢が膨らんじゃったんだ。今の私は、私が働き出したら、お姉ちゃんがどんな表情をするかの方が気になるんだ」
妹がその時見せた微笑みは、私の心にある膿んだ傷口を深く抉り、激痛で私を狂わせた。

 

 両親は天才だった。妹は超天才だった。対して私は秀才だった。普通なら苦労なく人生を送れるだけの能力はあるはずなのに、親には何一つ褒めてもらえる事はなかった。いつしか年下の妹が私を悠々追い抜き、賞や大会で無双した。その時始めて両親が笑った。私は親から適切以下の愛情すら注いで貰えないどころか、私に興味を完全に失い虐待すらしてくれなくなった。
 私が死に物狂いで入った学校でも、私より出来る人ばかりで気が狂いそうになった。普通よりは出来る筈なのに、出来ないと否定され続けるだけの人生。周囲には姉妹で能力を比べ、妹を讃え、私を罪人として蔑む人しか居なかった。
 だから家から逃げ出した。そして今の会社で働いてるのは、最底辺の会社だから。ここならみんな私より出来ない、無能ばっかりだから見下せる、威張れる。そう思っていたのに、実際は人と足並みを揃える力が、余りにもなくて……隠しきれない劣等感と、これだけは守り切りたいちっぽけな自尊心が、ヘラヘラ生きて来ただけの普通の人と協調するのを許さなかった。
 普通の人が羨ましかった。普通の事が出来るだけで褒めて貰える人生が。立って歩けるようになるだけで、言葉を喋れる様になるだけで、親に喜んで貰える人生が欲しかった。

 どこにも居場所なんてなかった。探そうとする気力すらなかった。幸せなんて、楽しいなんて、ただの一度も思えない人生の真ん中で、ある日妹がやって来た。私から全てを奪って行った人間が、私を頼って来た。最低の人間になって。
 一生かけても、永劫を経ても見下せないと思っていた相手が、軽く見下ろせる程地に堕ちていた。神だとまで思っていた相手を、私が養っている。私が初めて、優越感に浸れた瞬間だった。
 でもその感覚も偽りだとすぐに気付いた。妹の知り合いには、ダメになった自分を晒せる相手が居なくて、消去法で、圧倒的に格下で、扱い易い私が選ばれただけ。ちょっとおだてれば、馬車馬が怯えるほど我武者羅に働く奴隷。それが私。薄々分かってた事実に、必死に蓋をして、騙し騙しちっぽけな幸せを噛み締めていたのに……それなのに……

「ダメダメでゴミな私じゃないとお姉ちゃん、壊れちゃうもんね」
「やめて……働かないで……私を追い抜かないで……私をそんな目で見ないで……」
「お姉ちゃんの偽物のユートピアは今日でおしまい。私の嘘に、ワザと騙されて、戦々恐々としながら、幸せを噛み締めるお姉ちゃんに飽きちゃった。バイバイ。この経験を《敗者の思考》とでも名付けて、本でも出そうかな」
 捨てられる。妹に捨てられる。私を不幸にした相手。でも私を唯一幸福に出来る相手に捨てられる。
「待ってぇぇぇっっっ!!! 何でもするからぁぁぁっっ!!! 私が生きてる間だけでも働かないでぇぇっっ!!! 私に養わさせてよぉぉぉっっ!!!」


「だったらもう一回私のオモチャになってくれる? そしたら、お姉ちゃんが生きてる間は、生ゴミの私としてお姉ちゃんに養われてあげるよ」


 私がしたのはオモチャになる提案に頷いただけ。そしたら全てが上手くいった。他ならぬ妹の手によって。
 私は一躍時の人になった。ブラック企業の被害者代表として。どうやら妹は、私と暮らし始めてから直ぐに、会社の違法性についての証拠を集めていたらしく、会社は評判が悪化して倒産。私を虐待していた従業員は、妹が適当に慰謝料を揺すってから、ネットに個人情報も何もかもをばら撒いて、徹底的に妹が炎上させて、全員首を自主的に吊った。
 次に妹は私の経験を本にして出版させ、過労死寸前まで働いただけの自伝本が、なぜかその年のベストセラーになった。
 こうして散々格の違いを私に見せ付けた後、辻褄を合わせる様に、『慰謝料と印税は全部お姉ちゃんの名義だから、約束通り、責任持って私を養ってね』と告げ、今私の膝の上でゲームをしている。
「このゲームでも一位になったし、次のゲームしよっと! お姉ちゃんは、どれが良いと思う?」
 私が養っている体であるニートの妹は、息をする様にゲームでも一位を取り続ける。普通に生きているだけで、出来過ぎる妹は、私の自尊心を粉々に打ち砕いて行く。
「これにしよっと!」
 そんな地獄の様な日々の中で、私を支えている物は、何故か妹がこんな私を選んでくれているという事実だけだ。
 妹がその気になれば、幾らでもお金は作り出せるって、先の一件で証明されてる。私が養っているなんて体裁は、嘘にすらなっていない。
 実際の所、私は妹に飼われているのだ。妹と再会してからずっと。これからも。